私が日本語教師になったわけ

世界各地の日本語教師のみなさん、こんにちは。フランスで日本語教師をしているホシコ(本名、星野)と申します。今日は香港のぱんちょ先生の「みんなでブログを書こう!」参加記事として、ブログを書いています。普段、ここのブログは私が仕事の宣伝兼アーカイブとして使っているもので、いつもの読者は日本語に興味のあるフランス人、が大半です。

が、今日はちょっと違います!ぱんちょ先生の面白そうな企画にのって、ちょっと「私が日本語教師になったわけ」を語らせていただこうかと思います。

私は今、フランスの地方都市ナントというところで、日本語教室を開いています。自宅が教室です。フランスには2009年に始まったauto-entrepreneurという制度があり、個人事業を開業することが比較的簡単になりました。さてここへ行き着くまでの道のりは…私が小学5年生だった時代までさかのぼります。干支2回りぐらい昔です。

大阪生まれ大阪育ちの私が、父親の転勤で東京の学校へ転校することになりました。…カンのよい方はお気づきですね、そう私の日本語が通じないのです。「さよ”おなら”」と発音すると笑われる、じゃんけんの時の掛け声が違う、「外す」を「ほかす」と書くと、なんと先生にも笑われる。海外生活もいくつか経験していますが、いまだにこの経験を超えるカルチャーショックはありません。断言できます。

そんな私が「外国語大学の日本語専攻(日本語学)」を選んだのは、ごくごく自然なことではありませんか。学生時代はアメリカでアシスタントティーチャーしてみたりもしましたが(JALEX96-97年組です)、大学卒業後に一般企業に就職したことも、貴重な経験です。インターネットメディア関係の会社では、インターネットのイロハを勉強させてもらい、会計事務所での経験では税金関係にミョーに詳しくなりました。

ハイ、剣道も柔道も書道も着物もアニメもドラマも詳しくないけれど、そろばんをはじくことができて(=個人経営…)、ツイッターやフェイスブックを駆使し、関西人だけれども標準アクセントも(ほぼ)大丈夫!という日本語教師のできあがりです。

そんな私の将来の夢、それは…現在7歳の息子が思春期に突入するころになったら、私のことをぜひ「オカン」と呼ばせたい!「オカン、今日の晩メシなにー?」と聞いてくる日仏ハーフ男子にしたいところです。関西弁継承語教育、実践中です。